【R&B創生期のパイオニア、ルース・ブラウン去】
パイオニア。
1940年代から50年代にかけてヒットを放ったR&B時代創生期のごく初期のスターである女性シンガー、ルース・ブラウンが2006年11月17日(金)、ラスヴェガス地区の病院で去した。78 った。「ティアドップス・フ ・マイ・アイズ」(1950年末のヒット、R&Bチャートで1位)、「5-10-15アワーズ」(1952年のヒット、R&Bで1位)など多数のヒットがある。
ルース・ブラウンは1928年1月12日ヴァージニア州ポーツマス生まれ。本名、ルース・アルストン・ウェストン。
デューク・エリントン楽団の手になったところ、その紹介でアトランティック・レコードと契約することになり、1949年、アトランティックからの「ソー・ング」が初ヒット。以後、1960年 までヒットを出し続けた。レイ・チャールズ登 以前のアトランティックのドル箱スターと言える。しかも、ジャズ、ゴスペル、創生期のR&B、ックンールなどありとあらゆるジャンルを超えてった。
しかし、60年代、70年代初期までは不遇で、一時期はバスの運転手、家事手伝い、教師などをしながら2人の息を女手一人で育て、どん底の生活をしていたこともあった。
1982年、ワシントンDCで小さなライヴを行った後、一人の白人男性が昔のアルバ を持ってきて、ルースのサインを求めてきた。そのアルバ は、ルースが見たこともないアルバ った。彼女はアルバ にサインをしながら、「私たちはこうしたアルバ から一たりとも、印税をもらってないのよ」とこぼした。この男性の名前は、ハウエル・ベーグル、エンタテインメント系の弁士 った。そして、彼はルースのために、身を粉にして、未払い印税をメジャーレコード会社にさせるという前代未聞の仕事を始めたの 。
そして、それから約5年をかけて、ハウエルとルースは、それらの貯まった未払い印税をレコード会社に支払わせることに成功したのである。1987年のこと った。こうして生まれたのが、同年発足の「リズ &ブルーズ・ファウンデーション(基金)」である。
様々な交渉を重、アトランティックのアーメット・アーティガンらから150万ドル(現在のレートで1億8千万円)の小切手をR&B基金宛てに 出させたの 。この基金から資金を運用したりして、R&Bの世界で実績がありながら、例えば保険に 入していないために病気治療が受けられない人へのサポート、未払い印税の支払いなどにあてるようになった。彼女にとっての最大のターニングポイントは、この交渉をかってでてくれたハウエル弁士との出会い った。
その後、 画、ミュージカルの仕事が入るようになりアーティストとしても奇跡的に復活。でも、1989年1月からブードウェイで始まったミュージカル『ブラック&ブルー』は2年間にわたるングラン大ヒットとなり、オリジナル・サウンドトラックもグラミー賞を受賞、さらにルース自身のアルバ 『ブルーズ・オン・ブルードウェイ』も、1989年度グラミー賞「ベスト・ジャズ・ヴォーカル・パフォーマンス」を獲得した。同ミュージカルは、トニー賞5部門にノミネート、ルースの最優秀女優賞を含む3部門を獲得した。また1993年には「ックン・ール・ホール・オブ・フェイ 」(ック殿 )入りを果たすまでになった。
ルースは、ライヴでは1978年9月「モンタレー・ジャズ・フェスティヴァル」(=道館。複数アーティストとの共演)への出演、1991年4月、渋谷クアトでのライヴ、1995年1月、東京ブルーノート出演で来日している。また、甥にラッパーのラー がいる。
(ルースの来日履について阿見博さんから貴重な情 をいた きました。訂・追記しました。ありがとうございます)
ENT>OBITUARY>Brown, Ruth>January 12, 1928 - November 17, 2006 (78)
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