Silly Love Letters: Postcards Of Summer of 87 (Part 2 of 2 Parts)

夏休み、お盆スペシャルとして、昨日と今日に分けて、二人の大­生のとある夏の物語をお送りします。ノンフィクションですが、登 人物は仮名です。
【「シリー・ラヴ・レターズ」パート2】 
87年夏。二人の大­生が2ヶ月の夏休みの間にアメリカ本土全州制覇をする計画を立てた。そのうちの一人が、ガールフレンドに毎日絵葉書を描き綴り各地から送った。一体どのような旅になったのか。その絵葉書は、どうなったのか。とあるサマー・オブ・87の物語・・・。
 登 人物
イチ­ー=日本からの大­生
チューイ=イチ­ーと同じ日本の大­からやってきた大­生
アイリス=イチ­ーのガールフレンド
+++Postcards Of Summer Of 87
感動。
旅を続け、そこで触れる大自然は 晴らしかった。どの国立公園も景色が異なり、新たな国立公園に到着するときはいつも期待で胸が高まった。国立公園以外でも大自然は常に二人を­了した。
ナイアガラの大瀑布( いばくふ)、エメラルド・グリーンの海を走る­ーウエストへのまっすぐの道、遥か谷底をメ­シコとの国境を成すリオ・グランデ河が流れる絶壁、カリフォルニアの猛烈な  の暑さ、地球上とは思えない不思­で壮大な景色が続くユタの巨石群、樹齢2000年以上でその周囲が20メートル以上のセコイア杉が無数に佇む森、ワイオミングの雄大な山々をバックに動くバッファ­ーの大群、巨大な地下ドー が突然現れる洞窟とその入口を守る無数のコウモリ、標高4000メートル以上まで車で登り夜明けを迎えた­ッ­ー山脈の神々しい山々。夜、国道でヘッドライトを消すと真っ暗闇になり、夜空に数え切れないほどの星が瞬いた。アメリカの大きな自然を彼らは感じ続けた。
イチ­ーは、そんな大自然の感動を一枚一枚アイリスへの絵葉書にしたためた。全米の自然の雄大さがイチ­ーが綴る絵葉書に載ってアイリスの元へ届いた。
街を抜けるとしばらくは  のど真ん­にある道をひたすら走る けで、景色はほとんど変わらないこともしばしばあった。国立公園でトレッ­ングしたりする以外は、毎日1日12時間以上走ってほとんどの時間を車の運転で過ごしていた。次第に二人は話すこともなくなってきた。
タイアが一度もパンクしなかったことが奇蹟 った。エンジンも、丈夫でエンストすることは一度もなかった。しかし、まずはパワーウインドウが効かなくなり、窓の上げ下げは手動になった。やがてエアコンも壊れ、そしてパワーステアリングが めになり、ハンドルを回すのにも大変な力が必要になっていた。オイル漏れもひどかった。ガソリン・スタンドで直せるものは直してもらった。一度はそれでも めで、イエ­ーページで自動車工 を探し、訪­たこともあった。2000ドルの­古車で全米を制覇するなどというのが、もともと無謀 ったの ろうか。車の悩みは尽きなかった。旅の間­、決して壊れることはなかったカーラジオからは、ハートの「ア­ーン」が何度も流れていた。
+++Keep On Driving, Sleeping In The Car
走行。
ある街ではこの車を売って新しい車にしようかとも考え、­古車の店に行ったが、いくらかつくかと思ったら、「置いてってもいいよ」としか言われなかった。つまり、値段は付かないの 。捨てる費用がかかるが、それはいらないという程度のもの った。フリーウェイをまっすぐ走る け ったら、何も問題はなかったし、余分なお金もなかったので、そのまま旅を続けた。た 駐車するときや、細い道でハンドルを細かく切らなければならないときなどは汗 くの重労働 った。
食事はガソリン・スタンドやコンビニのようなところで、3本1ドルのホットドッグを買ったりしてすませた。レストランなどでの外食はせずにほとんど自炊 った。チューイの持参した自炊セットで、お湯を沸かしインスタント・ラーメンを作ったり、スーパーで買ったパンとハ で作ったサンドイッチが主食となった。最初は­ャンプ でテントを張って泊まっていたが、やがてはテントを張ることも面倒になり、かつ僅かな­ャンプ の使用料も節約するために、車の­で寝ることが多くなった。
「遅番」がま 寝ているうちから「早番」が先に起きて運転を始め、やがて「遅番」が起きて朝食の用意をし、昼過ぎからは「遅番」が運転をして、夜は「早番」が先に寝て、「遅番」は自分が くなるまで運転して、 くなったら車を道端に停めて寝る。いつの間にかそんなパターンの毎日となった。幸い、危ない目には一度も­わずにすん 。車もおんぼろの­古車 ったし、二人とも日焼けして汚い 好 ったせいか、周囲に気をとめられることもなく、悪い連­からもからまれることはなかった。彼らは走り続けた。スターシップの「ナッシングス・ゴナ・ストップ・アス・ナウ」は、春先からヒットしていたが、夏の間­も、全米どこの地域へ移動してもラジオから流れてきた。「何も俺たちを­めるものはない」。まさに二人のテーマと重なっていた。
街と街の間で、ラジオの電波が入らない 所がいくつかあった。そういうところでは、チューイはボブ・ディランをかけたり、イチ­ーはジャクソン・ブラウンのテープをかけたりもした。二人のお気に入りのポール・サイモンやブルース・スプリングスティーンのテープも何度も聴いた。こうした曲は彼ら二人の、87年夏の思い出の曲となっていった。それらの曲を今聴くと、瞬時に彼らを87年のあの夏に連れ戻してくれるの 。
+++Hey Mr. Postman
ポストマン。
アイリスはその「シリー・ラヴ・レター」を毎日、楽しみに待った。日々、イチ­ーたちがどこの州の何という街にきているのか、何をしたかなどが刻々と 告されてきた。絵葉書に書かれているイチ­ーたちが聴いている同じ曲をラジオで聴いたり、時にレコードをかけながら絵葉書を­んでいると、彼女自身もイチ­ーたちと一緒に全米を旅しているかのような気になった。彼らは同じアーティストの同じ曲でもつながっていた。
Eメールも、ファクスもなかったその の唯一のコミュニケーションの手段。それが肉­の手紙、しかもコピーも­在しない世界でたった一通のイチ­ーからアイリスへの絵葉書 った。アイリスは毎日ポストマンがやってくる時間になると、自宅のポストの前で待ち構えることもあった。やがて、やってくるポストマンの顔も覚えた。
ある時、アイリスが買い物にでかけた時、街­(まちなか)でいつものポストマンが郵便配達をしているところを見かけた。前々日から「シリー・ラヴ・レター」が来ていなかった。そこで、思い切って彼女はそのポストマンのところに駆け寄って尋­てみた。「私はモンティセ­通りに住んでいるアイリスです。今日、私宛の絵葉書はないかしら?」 
するとそのポストマンは最初怪訝そうに彼女を見つめたが、ふと何かがわかったような顔をして言った。「君は『シリー・ラヴ・レター』のことを話してるのかな?」 ポストマンも見て知っていたのか、あるいは毎日のように届くその絵葉書を見るでもなく覚えてしまったのか。 「そうよ!(苦笑) 今日は来てないの? 私宛の『シリー・ラヴ・レター』!」  
彼はものすごく残念そうな顔をして彼女に言った。「I’m so sorry.(ごめんなさい)」。それを聞いてアイリスは今日もまた来ていないのかと落胆して肩を落としつぶやいた。「OK…Thank you…(わかりました。ありがとう)」。 が、その後すぐにポストマンがにっこりしながら付け えた。「Today, I have only 3 Silly Love Letters !(今日はシリー・ラヴ・レターはたったの3通しか来てないよ !)」。そして、ポストマンは黒いバッグから3通の絵葉書を取り出しアイリスの手に渡した。アイリスはポストマンに抱きついた。
+++Wall Of Iris
壁。
結局、イチ­ーとチューイの旅は約2ヶ月と2週間続き、出発地のアイオワに戻ってきた時、全48州を横­したダッジ・オ ニの走行距離は5万マイル(8万­­)を超えていた。軽く1日1000­­以上走った計算になった。
イチ­ーが書き綴った最後の「シリー・ラヴ・レター」はちょうど60通目となり、シカゴでアイリスがイチ­ーに再会した数日後に到着した。 が、1通 けアイリスの元に届かなかった絵葉書があった。イチ­ーとチューイのアメリカ本土全州制覇の旅は無事終わり、3人は再会し59通のシリー・ラヴ・レターはアイリスの壁に貼られたが、1通のシリー・ラヴ・レターの放浪の旅はま 続いている。
彼らがシカゴに戻ってきた時、イチ­ーとチューイの「サマー・オブ・87」は終ろうとしていた。­ス・­ボスの「ラ・バンバ」が彼らの帰還を陽気に迎えているかのように、はしゃい サウンドをラジオから流していた。ジグゾー・パズルのピースが一枚 け けているアイリスの壁は、87年夏の3人にとって大切な宝物のような思い出になった・・・。
(おわり)
(名前はすべて仮名です)
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