【ファンー・ライヴはハッピー・ピープルが行く所】
錚々(そうそう)。
ダズ・バンドに来ていたお客さんで、僕のすぐ近くに若いグループがいた。そのうちの何人かが、めちゃ踊りがうまく、しばし、見ていたの が、スップ・マーティンたち(メンバー)も同じように思ったらしく、そのの一人を指さし、ステージにあげた。その彼は、ステージでも大爆発し、のりにのって踊り観客からも喝采を浴びた。
「うう~う~」と掛け声をかけさせたり、腕の動かし方を指示したり、躍らせたり、可能な限り観客とのコール&レスポンスを試みる。こういうの慣れると、普通のた じっと 聴かせるようなライヴが少々退屈になってくるから困ったもの 。(笑)
ライヴが終わって、その踊りのうまいに声をかけると、なんと一緒にきたサラリーマン風(スーツとネクタイ ったので)が踊りの先生で、その生徒 という。彼は82年生まれ。え~~って感じ。「じゃあ、いつどこで覚えたの? ダズバンドは」 「ダンス習い始めてからですよ。数年前です」と彼は言う。
「レット・イット・ウィップ」は、奇しくも1982年の大ヒットである。これが大ヒットした年に生まれた彼が、それから24年後に無我夢で本物のダズ・バンドのライヴで踊っているの 。やはり、音楽の力はすごいな。(笑)
ちょうど彼らが座っていたテーブルは6人で、向かい合って、2人ずつ座っていた。6人とも仲間同士かと思ったら、全然違って、3組それぞれが2人ずつやってきていた。ところが途から共通の地元話題などで大盛り上がりになっていた。まさに、One Nation Under The Groove! (笑)
1人の女性は、ソウルバーをやっている吉岡さんを知ってる、というので「『フィリーズ』でしょう」というと、「そう 」という。すると、さっきの踊りのうまかった彼が要町あたりが地元 ということで、フィリーズも知っていて一挙に距離が縮まったの 。フィリーズの誰かと同じ とかいう話しもでていたかもしれない。みんないい音楽を聴いて、かなりハッピーになっていた。
こういうファンーなバンドのライヴは、まさにハッピー・ピープルが行くところなの 。
ところで、今回メンバーのマーン・マクレイン(ギター)とナサニエル・フィリップス(ベース)は、ファンタジー・レーベルからアルバ を出しているファンーなセルフ・コンテインド・グループ、プレジャーのメンバーでもある。マーンは、今、オレゴン州ポートランドに住んでいると言っていたが、そこは彼の生まれ故郷で、プレジャーもオレゴンで結成されている。
マーンは1985年にダズ・バンドに 入、ナサニエルはその後にマーンの誘いで入った。また昨日も書いたが、ドラマーは18年間ギャップ・バンドのドラ を担当したレイモンド・カフーン。こうやって書くと、このダズ・バンドはファンク界の錚々(そうそう)たるメンバーが勢ぞろいしていることになる。
(2006年7月24日、丸の内コットンクラブ=ダズ・バンド・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Dazz Band
2006-144