【ヒートウェイヴのリードシンガー、ジョニー・ワイルダー死去】
宣告。
人気ソウル・グループ、ヒートウェイヴのリードシンガー、ジョニー・ワイルダー・ジュニアが去る(2006年)5月13日(土曜日)、オハイオ州デイトン郊外のクレイトンにある自宅で死去した。娘のカーラ・ホウキンスによると寝ている間に息を引き取ったという。56歳だった。
ジョニー・ワイルダーは、1949年7月生まれ。4人兄弟のひとり。キース・ワイルダー(54歳、ジョニーの弟)とともに70年代初期にソウル系のヴォーカル&インストゥルメンタル・グループ、ヒートウェイヴをドイツで結成。77年、「ブギー・ナイト」、さらに「オールウェイズ&フォーエヴァー」、「グルーヴ・ライン」などの大ヒットで一躍世界的な人気グループとなった。ドイツで結成したのは、彼らが米軍に所属し、その兵役地で音楽活動を始めたことによる。
ヒートウェイヴ(熱波)というグループ名は彼らが練習していたドイツの建物が、一年中暖房がついていて、夏でもものすごく暑かったため、そこからとった。
グループには、イギリス出身のロッド・テンパートンという人物もいた。彼はグループのヒット曲の多くを書くようになり、ソングライターとして注目を集め、その後クインシー・ジョーンズに認められ、クインシー関連の作品に曲を提供するようになった。そんな中からマイケル・ジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」などが大ヒットしている。
グループには、アメリカ、ドイツ出身者の他、イギリス、チェコ、スペインなどの出身が含まれ、ドイツで結成、イギリスのレコード会社と契約、ヒット、さらにアメリカでもリリースされ大ヒット、とまさにマルチナショナルな活躍をみせた。サウンド的にも、アメリカン・ファンク一辺倒でなく、どこかにヨーロッパ的要素をちりばめており、それが特長となった。
しかし、大ヒットが続いていた79年2月24日ジョニー・ワイルダーがオハイオに戻った時、運転手していた車にヴァンが衝突。ジョニーは重傷をおいその時点では一週間くらいしか命がもたないと宣告される。結局、一命は取り留めたが下半身不随となった。ツアーなどのライヴはしなくなったが、音楽制作などの活動は続けていた。
車椅子のジョニーはこう言う。「ヒートウェイヴ時代に自分が何を獲得し、成し遂げたかはわかっている。だが、その頃は今自分が得ているようなレベルの個人的な満足感というものはなかった」 90年代に入り、彼はソロ・アルバムを発表するが、それは、ゴスペルのアルバムだった。彼は神への感謝とメッセージを歌に託した。『マイ・ゴール』、さらに続いて96年に『ワン・モア・デイ』を発表。
彼は言う。「それぞれの人間が神の元へやってくる道筋は様々だ。僕が今やっている音楽は、自分なりの神への感謝の気持ちなんだ。僕は、自分の人生を悔いていないと自信を持って今は言えるんだ」
79年2月の事故の時に、1週間しか生きられないと医師に宣告されたワイルダーは、その後27年間生き延びた。まさにソウル・サヴァイヴァーである。ご冥福をお祈りする。ヒートウェイヴ、オールウェイズ&フォーエヴァー。
ENT>OBITUARY>Wilder Jr., Johnnie / 2006.5.13(56)