【レイ・チャールズに衝撃を受けて】
(アルバム『アイ・ビリーヴ・トゥ・マイ・ソウル』を生み出したプロデューサー、ジョー・ヘンリーとは何者か。『アイ・ビリーヴ・トゥ・マイ・ソウル』~パート2は彼の謎に迫ります)
信仰。
ジョー・ヘンリーは1961年頃ノース・キャロライナに生まれた。彼が5歳の時、家族はアトランタに引っ越した。父親は自動車会社シヴォレーに勤めていた。アトランタの新しい家で、ジョーは兄と一部屋を与えられた。そこには、白いフィリップス製のラジオがあった。そのラジオからはあらゆるタイプの音楽が流れてきた。ジム・リーヴス、レイ・プライス、ダスティー・スプリングフィールド・・・。ラジオから流れてくる音楽やDJの声は、目に見えないだけに、どこか世界大戦の死んだ兵士たちからのメッセージのようにさえ思えた。ラジオから流れてくる音楽にジョーは魅せられた。
1969年6月22日、ラジオはいつものようにアトランタ・ブレイブスの試合を放送していた。だが、突然、アナウンサーが野球中継を中断し、ニュースを流した。そのニュースは、シンガー、ジュディー・ガーランドの死去を伝えた。アナウンサーのバックではジュディー自身が歌う「オーヴァー・ザ・レインボウ」が小さく流れていた。そして、その番組が終る時、最後にレイ・チャールズがかかった。レイのヴァージョンによる「イエスタデイ」だった。ラジオに耳を傾けるジョーにささやきかけるように歌うレイ。長い間会っていなかった伯父さんからの手紙を見つけたような感動だった。
ジョー・ヘンリーはその歌声に衝撃を覚えた。以来、レイ・チャールズは彼の音楽人生を劇的に変えることになった。この曲を歌ったビートルズのポール・マッカートニーは、この「イエスタデイ」の中で大人になった一人の男が自分が次第に時代遅れになりつつあることをおぼろげに感じ取る主人公の悲哀を演じる。レイの歌の説得力ゆえに、8歳のジョーでさえも、その意味が理解できた。
ジョーはその瞬間思った。「僕には信じるべき信仰ができた!」 そう、その信仰とは、音楽そのものだったのだ。様々な楽曲が、彼の辞書となり語彙になっていった。レイ・チャールズは教会のヴェテランの宣教師だった。宣教師はジョーにさまざまなことを教えた。
それから20数年が経ち、結婚し子供が生まれた。男の子だった。ジョーはその子にこう名づけた。レヴォン・レイ・ヘンリー。もちろん、レイはレイ・チャールズから取った。
ジョーはミュージシャンとして、また、プロデューサーとして彼の信仰を大事にして地道に活躍していた。ギターを持って自ら歌うCDも出した。しかし、アーティストとしてのジョー・ヘンリーはそれほどブレイクすることもなかった。彼の名を一躍有名にしたのは、2002年、60年代に活躍した大ヴェテランR&Bシンガー、ソロモン・バークをプロデュースし、見事にカンバックさせたプロジェクトだ。このアルバムは、バークにグラミーをもたらした。
2004年6月10日午後、ジョーが息子のレヴォン・レイを学校に迎えに行った時のことだ。ジョーはレヴォン・レイに、「お前の名前がついている人が亡くなった」と伝えた。「お気の毒に、パパ。パパの道しるべが亡くなったんでしょう」 息子は本質をよく理解していた。
ジョーは、その前から黒人コメディアン、リチャード・プライアーの一生を映画の脚本にする仕事に取り組んでいた。何度もプライアーに会い、話を聴き、様々なエピソードを組み込んだ。プライアーにインタヴューするたびに、彼は60年代から70年代初期にかけてのソウル・ミュージシャンについての話をした。次第にジョーも、そうしたミュージシャンたちの音楽に興味を覚えるようになった。プライアーから名前を聞いたアーティストのCDを片っ端から聴いた。
プライアーから教えてもらったシンガーの中でもアン・ピーブルスには心底惚れた。ジョーはアンに電話してこのプロジェクトの企画を話した。アンはジョーのことを知らなかった。しかし、ジョーがてがけたソロモン・バークのアルバムのことは知っていた。なにしろ、その作品がグラミーを獲得していたからだ。そこから一気にプロジェクトが進んだ。一人一人のアーティストに頼み込み、その時はやってきた。
2005年6月4日から10日の一週間、ロスアンジェルスのキャピトル・スタジオで歴史的レコーディングが行われた。日替わりで5人のアーティストがやってきた。
ステイプル・シンガーズのリード・シンガー、メイヴィス・ステイプルス、ビリー・プレストン、ニューオーリーンズのアーマ・トーマス、アラン・トゥーサン、そして、アン・ピーブルスだ。彼にとっては至福の時だった。
ジョーは言う。「僕はノスタルジーからアーティストを選んでいるわけではない。自分がちゃんとリスペクトできるアーティストを選んでいるんだ。また、セールスを得るために、人気の若手アーティストと組み合わせるようなこともしない」
彼はソロモン・バークのほか、やはりR&Bシンガー、ベティー・ラヴェットのアルバムなどもプロデュースしている。
レコーディングの最終日、6月10日は、もちろんレイ・チャールズの一周忌にあたる。ジョー・ヘンリーの信仰は、厚く、熱い。
ところで、タイトルのI Believe To My Soul だが、普通はI Believe In My Soul ではないだろうか。その疑問をマイ・ブラザー、マーヴィンに尋ねてみた。直訳はどちらも「僕は自分のソウル(魂)」を信じる」という意味だが、To My Soul だと、握り締めた手を胸に叩いて、自分自身のソウルを強く信じている、というニュアンスになるそうだ。
ここでいうソウルは、彼自身の魂のソウルと、CDで展開されるリアル・ソウル・ミュージックのことも意味しているようだ。つまり、今となってはあまり聴かれなくなってしまったリアル・ソウル・ミュージック、それは自分が愛するソウル・ミュージック(My Soul)でもあり、ちゃんとここに存在し、ずっとあるぞ、これからも未来があるぞ、それを強く信じてる、という意味だ。
力強いタイトルだ。ソウル・サーチャーもこれにならってこう宣言しよう。The Soul Searcher Believe To My Soul! Yeah!
■アルバム
“I Believe To My Soul” by Various Artists (Warner)
ワーナーミュージック WPCR12249 - 2006年1月25日発売
ENT>MUSIC>ARTIST>Henry, Joe
ENT>MUSIC>ALBUM>I Believe To My Soul