【ジェームス・ブラウンの今回の日本ツアーは最後だったのか】
ファイナル。
ジェームス・ブラウンの日本ツアー最後の日、3月5日(日曜)、ミスター・ブラウンは「イッツ・ア・マンズ・マンズ・マンズ・ワールド」の中で、通訳を呼び、スピーチを始めた。今回は、ほぼ毎回この部分で語っていたそうだが、この日のスピーチは最終日ということもあってか、感慨深いものがあった。
彼は言った。「彼とは(ドン勝本氏のこと)もう、35年来の友人だ。私は、日本にも何度もやってきた。世界中に旅をした。だが、私は再びこの日本に戻ってこれるかどうかわからない。けれども、みなさんのことを愛してます」 スローバラードの「マンズ・ワールド」の演奏がしっとりと続いている。
この「日本に再び戻ってこれるかわからない」という一言が、衝撃だった。一観客としては、それまでさんざん、ミスター・ブラウンがこの日も激しく踊っているのを見ていたので、まさかもうライヴができないなんて夢にも思わなかった。なので、その時は「また、そんなこと言って。何言ってんですか」くらいの軽い気持ちで、「どうせ、2年後にまた来るでしょう」と思っていた。確かに、ジャンプしてする股割の高度が以前よりもはるかに低かったり、自分が歌い踊るよりも、ミュージシャンたちにソロを演奏させるほうが多かったとしても、充分、ミスター・ブラウンは存在感を、オウラを放っていた。まだまだ引退なんてとても考えられないと感じていた。
だが、その後、ジェームス・ブラウン愛好家の佐藤氏とセットリストの情報交換メールをやり取りする中で、ミスター・ブラウンが大阪から名古屋への移動の時、車椅子に乗っていたという情報をいただいた。それを聞いて、ミスター・ブラウンの最終日のスピーチがフラッシュバックした。「そうだったのか」と妙に合点がいき、同時に愕然とした。
つまり、ミスター・ブラウンは、今回のツアーはまさに満身創痍(まんしんそうい)だったのだ。あの元気なミスター・ブラウンが車椅子に乗るなんてとても、僕には考えられなかったので、スピーチ以上にショックだった。逆に車椅子に乗らなければならないほどの人間が、なんであんなに飛び跳ねたり、元気よくステージで歌って、踊ることができるのか。むしろ、そのことに改めて感銘を受けた。
曲の途中で、このようなスピーチをいれるなんてことは、まずブラウンはしたことがなかったはずだ。60年代、公民権運動が激しくなった時、ステージでゲキを飛ばしたことはあっただろう。また、誰かが亡くなりそのアーティストへトリビュートする時に、コメントをすることはあった。この日もウィルソン・ピケットやレイ・チャールズにトリビュートを捧げて、曲も歌った。そういう語りはいくらでもあった。
だが、彼が73年に初来日して以来、彼のステージを何度も見てそれを振り返ってみて、自分についてのパーソナルな思いを語ったことはなかったように思える。
「あなたの左側の(席に座ってる)人に『愛してる』と言ってください。そして、次に右側の人に『愛してる』と言いましょう。そうやって愛が広まっていけば戦争などなくなるはずです。今は、本当に『愛』が世界に少なくなってきていると思います。今こそ『愛』が必要だと思います」
こうしたメッセージが、ミスター・ブラウンが車椅子に乗らなければならないほどの身体になってまでも、はるか極東の地までやってきて、激しいステージをこなした最終日にでたメッセージだったのかと思うと、改めて胸が熱くなった。
彼が癌になったというニュースもあった。そして、今、移動に車椅子。「もう戻ってこれないかもしれない」という弱々しい発言。日本のファンへの最後のメッセージだったなんてことにならないように、祈りたい。1年後でも2年後でも、元気になってまた戻ってきて欲しい。なにしろ、かつて「200歳マイナス1歳まで生きるんだ」と公言していたミスター・ブラウンなのだから。72歳は、まだまだその半分にも満たない。
ENT>MUSIC>LIVE>Brown, James
EBT>MUSIC>ARTIST>Bronw, James
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