The Moment John Lennon Passed Me By My Side

【ジョン・レノンとすれ違った瞬間】

瞬間。

12月8日というとジョン・レノンの命日だ。1980年12月8日、ちょうど今から25年前に彼はマーク・チャップマンという男に殺された。ジョンは40歳だった。このニュースは僕は9日の午後1時くらいだったかに電話で知らされた。それからテレビをつけた。

最初のうちは詳しいニュースがなかったが、徐々にいろいろなニュースがはいってくるようになった。夕刊に記事がでた。1面だった。それからNHKの『7時のニュース』が伝えた。

ちょうど1970年代後期というと、ビートルズの作品は、それほど大騒ぎされるという時期ではなかった。もちろん、定番として認知はされていたが、子供も大人も誰もが聞くというところまではいっていなかった。70年に解散したビートルズは70年代後期は、ちょうど人気がエアポケットにあった時期だ。各メンバーのソロ活動のほうがまだ注目されていたといえるかもしれない。

ところが、80年1月にポールが来日時に麻薬所持で逮捕、強制送還され衝撃が走った。さらに同じ年、このジョン・レノン射殺のニュースだから、ビートルズ関連の大きなニュースが世間を賑わした。

それまで僕はビートルズは、やはり反体制的な存在の象徴だったと思う。いわゆるロックン・ロールの最高峰的存在だ。ポールの逮捕は別にして、ジョンの死は一部の音楽ファンだけでなく、ビートルズをそれほど知らない人たちにも大きな衝撃を与えた。このジョンの死を機に、ビートルズという存在は、それまでのオルタナティヴなものから、一気にメジャーなものになったような気がする。要は朝日新聞の一面に記事が出て、NHKのニュースが大々的に報じたあたりで、ビートルズが、変な言い方だが、認められたわけだ。

つまりビートルズは老若男女みんなのものになったのだ。それまでは、ビートルズなんて一部の不良、一部の音楽ファンが聞くものなどと言われていた。そんなことは、今の21世紀では想像もできないだろう。だが、実際そうだったのだ。今だったら、さしずめ、その役目はローリング・ストーンズが果たしているのかもしれない。

あれは確か78年か79年の夏休みだったと思う。友人たちと軽井沢に遊びに行っていた時だ。旧軽井沢銀座をぶらぶらしていると、2人乗りの長い自転車に外人の親子が乗って、横をすり抜けていった。髪はとても長く、印象的だった。その瞬間、横にいた友人が「あれ、今のジョン・レノンじゃないの?」と言った。あわてて振り向くと確かに紛れもなくジョン・レノンの後姿だった。そして、すぐその後にオノヨーコさんがやはり別の自転車で走っていった。あの子供はショーンだったのだろう。

つまり、当時はジョン・レノンが日本に来ていても、それほど大騒ぎになることもなかったのだ。そのときも、「ジョン・レノンってよく万平にきてるからね、また見かけるよ」みたいな話をした。だが、その1年後か2年後にあんなことになり、あのすれ違いは大変貴重なものになった。毎年12月8日になると、僕はあの一瞬のすれ違いのことを思い出す。だから、なんだということでもないのだが・・・。

ENT>MUSIC>ESSAY>Lennon, John

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