Stevie Wonder: Accept 3 More Questions, 10 More Radio IDs

【スティーヴィー、ご機嫌な記者会見】

抽選。

スティーヴィー・ワンダーがプロモーションのために10月31日(月曜)に来日、11月2日(水曜)都内のホテルで記者会見を行った。質疑応答は質問者が多数でることが予想されたため、事前に抽選をし、質問者の順番を決めて行われた。11時半に抽選が行われ、15名のメディアの人々が番号をもらい、1番から順に質問することになった。会見場には150人を超える記者らが集まった。

会見の開始予定は当初は12時だったが、12時にはまったく現れる様子はなく、スティーヴィーは12時35分すぎに会場に姿を現した。舞台中央にはソファが、その前にキーボードが置かれている。スティーヴィーは、なんとアイーシャをともなって登場。写真撮影の後に質疑応答が始まった。

質問はグラミー賞についてどう思うか、「シェルター・イン・ザ・レイン」について、曲を書くときの心得、娘アイーシャとのデュエットができた経緯、災害やテロなどの被害者に対してへのメッセージなどの質問がでた。当初5問が終ったところ、予定時間がきたためか、司会者がこれが最後になると伝えたところ、スティーヴィーは「あと3ついいよ」ということで、質疑が3問増えた。

この中で例えば、次のような話が明かされた。「シェルター・イン・ザ・レイン」は4年ほど前に作った。シリータからネルソン・マンデラの娘のイヴェントで一緒に歌わないかと誘われて、南アフリカに行った。その時に彼女から胸にしこりがあることを打ち明けられ、一緒に病院に行ってくれるかと頼まれた。もちろん、一緒に行って検査をしたが、残念なことに悪性の腫瘍だった。当初は、この曲はシリータと一緒に歌うつもりだったが、徐々に彼女の容態が悪くなり、それはかなわなかった。そして、この曲をレコーディングした後、ハリケーン・カトリーナが起こり、その被災者へのチャリティーにすることにした。この曲からあがる純利益をハリケーン・カトリーナの被災者へ全額寄付することにした。

「ハウ・ウィル・アイ・ノウ」は、10年ほど前のとある火曜日、ニューヨークで書いた。その前日、当時つきあっていた女性と素晴らしい夜、素晴らしいメイクラヴをした後にその時の気持ち書いた。つまり、「彼女は僕のことを愛しているだろうか、どうやったらわかるだろう」という気持ちだ。この曲を作って、自宅で何度も歌っていると、そのうちにアイーシャが覚えてしまい、いつしか歌うようになっていた。それを聞いたスティーヴィーは、彼女のほうが自分よりうまいじゃないか、と思い、今回彼女とともにレコーディングすることにした。

さらに、計8人からの質問に答えた後、突然「ラジオ局のID(ラジオ局のコールサインをちょっとした音楽に乗せて歌ったりするジングルのようなもの)を今、作ってあげるよ。局の名前を言って」と発言。

記者席から次々と声がかかる。「東京FM」「Jウェイヴ」「インターFM」などに混ざって、テレビ番組などもかかり、何本か作った後、収拾がつかなくなったところで、スティーヴィーが「あと10本やるから」と太っ腹なところを見せた。

次々とスティーヴィー・メロディーに乗って曲になっていく各局のコールサイン。記者も、1曲ができるごとに拍手喝采を送る。「フロム・ザ・ボトム・オブ・マイ・ハート」からできた「東京FM」、「ポジティヴィティー」からできた「ラヴFM」、「ホワット・ザ・ファス」のメロディーを使ったID、「シェルター・イン・ザ・レイン」を使ったID、「ドンチュー・ウォーリー・バウト・ア・シング」を使った「目覚ましテレビ」のIDなど、10本以上が出来上がった。

これらが終って、スティーヴィーが会見場を去るとき、記者たちからスタンディング・オヴェーションが巻き起こり、しばし続いた。この日のスティーヴィーは、実にごきげんもよく、次々に質問に答えるだけでなく、こうしてID作りもした。本人自身がとても記者会見を楽しんでいた。予定の1時間を越え、1時間20分以上になり、会見が終了したのは、当初の予定午後1時から1時間以上押して2時過ぎになっていた。

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スティーヴィーは、今回の来日で、4日(金)の『ミュージック・ステーション』(テレビ朝日系列、午後8時)に生出演するほか、『ミュージック・フェア』(11月26日=フジテレビ系列)、『ニュース23』(11月11日頃の放送予定)に出演する予定。

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