【『ソウル・トレイン』終了へ】
終了。
東京のFM局Jウェイヴで毎日深夜に放送され、人気を集めていた『ソウル・トレイン』(毎週月曜~金曜24:30-25:00=DJリュー)が2005年9月30日の放送で終了することになった。9月12日(月曜)深夜の生放送番組内でリュー本人が発表した。同番組は99年4月からアメリカの人気テレビ番組『ソウル・トレイン』と提携しスタート。毎日1時間半生放送で、ソウル、R&B、ヒップホップの作品をかけたり、そうした作品に関連するアーティストたちを招いて紹介してきた。6年半で終了ということになる。リューも番組内で「悔しいけど、that’s life(それも人生)」とコメントした。リューは、これが生放送であるために、決まりを決めずに徹底的にフリースタイルでやることを信条としていた。リューは、10月から始まる深夜帯の新番組の一曜日にDJとして登場する方向。
いわゆるラジオ番組の『ソウル・トレイン』は、本家アメリカのテレビ『ソウル・トレイン』からお墨付きをもらった唯一の番組。また、「ソウル・トレイン・プロジェクト」としては、ラジオ番組の『ソウル・トレイン』のほかに、お台場にできた「ソウル・トレイン・カフェ」(2002年2月閉店)、ファッション・ブランド「ソウル・トレイン」などもあったが、すでに撤退しているために、このラジオ番組『ソウル・トレイン』の終了によって、「ソウル・トレイン・プロジェクト」は、表立つものがなくなることになる。
アメリカのテレビ番組『ソウル・トレイン』は、シカゴのDJドン・コーネリアスが人気テレビ音楽番組『アメリカン・バンドスタンド』のソウル版を作ろうと1970年に始めたプログラム。レコードに会わせて観客が踊るシーンと、基本は口パク(リップシンク)でゲスト・アーティストが歌うというシンプルな構成で、アメリカのソウル・ミュージック・シーンに大きな影響を与えた。当時は、なかなか黒人アーティストがテレビに出ることができなかった時代にソウル専門で人気を集めた。
99年4月、ドン・コーネリアスのお墨付きで番組をスタート。東京の空に毎夜数多くのソウル、R&B、ヒップホップの作品を流した。生ゲストも多数出演。ゲストがライヴを見せたことも多々あった。これで深夜の名物音楽番組がひとつ消えることになる。
『ソウル・トレイン』について書いたコラム
https://www.soulsearchin.com/periodical/l&g/l&g07.html
+++++
ソウル魂。
このニュースを聞いたときには、ひじょうに残念に思った。唯一の帯のソウル番組がなくなってしまうのだから。リューと初めて会ったのは、99年3月、『ソウル・トレイン』の番組およびさまざまなプロジェクトの発表の席。一般記者会見が終わった後、プロジェクトのコーディネートをされていた江守アイ氏に紹介された。その後も、いろいろなライヴで顔をあわせるようになり、何度か番組にも遊びに行き、ゲストで出演したこともある。
確かに10年くらいは続いてほしかったが、まあ、しょうがないというか。3月にスポンサーがおりて、4月からノー・スポンサーでやっていたようで、それもひとつの要因になったのかもしれない。しかし、毎日1時間半の生の音楽番組というのは、これは強い。新譜でも解禁日にかけられるし、どこよりも早くかけることが可能だ。また、ゲストも来やすい。深夜でスタジオに来るのが厳しければ、ホテルにインタヴューをとりにいけばいい。しかも、ソウル、R&B、ジャズまでカヴァーするから、これもおもしろい。宇宙飛行士の毛利さん、日本のヴェテランまでゲスト出演していた。
『ソウル・トレイン』については、一度、新幹線のグリーン車に乗っていた雑誌L&G誌の「車窓を奏でるメロディー」のコラムで書いた。このコラムは、鉄道にからんだ曲について、何か書くというシンプルなもので、音楽雑誌と違って、かなり幅広い方から「読んだよ」という声をいただいた。電車関係の曲ということで、「ソウル・トレイン」はもってこいのテーマだった。
まあ、『ソウル・トレイン』のラジオ番組は終わったところで、リューのソウル魂(あえて、ソウル魂と書く=笑)はずっと熱いままでいるだろうから、ずっとソウルし続けてくれ。僕もソウル・サーチンし続けるので。
ENT>RADIO>Soul Train