A Friend Of 25 Years Ago Sent Me Email For The First Time

【25年前の友人からの初Eメール】

初メール。

四半世紀以上前に、六本木のエンバシーで知り合ったひとりの黒人がいた。横須賀の海軍にいた兵士で、当時20かそこらではなかっただろうか。週末になると多くの兵士たちと同じように六本木に遊びに来ていた。で、ひょんなことから仲良くなったのだが、彼が兵役を終えて国に帰ってからは、もう連絡がなくなった。たぶん、帰ったのが80年代初期か70年代の後期だろう。

一、二度、手紙のやりとりをしたかもしれない。それから十年以上だってから、突然エアメールのパッケージが届いた。な、なんとその彼がミュージシャンになってCDを出したので、送ってきたのだ。しかも、やっていた音楽はブルースである。

そして、またそのことをすっかり忘れていた。それから15年以上たったと思うが、昨日、1本のメールが入ってきた。なんとその彼からだった。もちろん、メールのやりとりはしたことがない。15年以上前にはインターネットでメールのやりとりなんかしていなかった。(ちなみに僕が最初のメールアドレスを獲得したのは93年、ニフティーだった。その直後、商用プロヴァイダーとしてはほとんど初だったリムネットでアドレスを取った。そのアドレスは、現在まで使っている)

書き出しはこうだった。Hello Masaharu. I hope that you are the right Masaharu. (ハロー・マサハル、あのマサハルであってほしいと願っています) いやあ、驚いた。こんなこともあるのか。

メールのやりとりを1往復してわかった。彼は今、テキサス州サンアントニオに住んでいる。17歳を筆頭に子供が3人もいる。ブルース、ファンク系のバンドをやっていて、なんとかがんばっている。時々、世界を旅している。

先日、当地のスタジオで友人と雑談している時、自分が日本にいた頃の話になった。そして、なぜか僕の名前がでてきた、という。すると、その友人が「じゃあ、インターネットで調べてみればいいじゃないか」と提案して、やってみたら、アドレスがわかった、というのだ。

「25年なんて瞬きをする間のことのように思わないかい?」と彼は書いてきた。自分のブルースバンドで、昨年、1日だけ横須賀のベースの中でライヴをやったが、翌日韓国へ出発だったため、連絡も取れなかったらしい。また、来年の2月に日本にライヴで来る話があり、その時にはぜひ会いたいと書いている。これは楽しみだ。彼の名前はウィリー・ジェイ、バンド名はウィリー・ジェイ&バンドだ。

改めてインターネットの力というか、すごさを感じた出来事だった。

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