Luther Vandross Talks In Brooklyn Accent

【ルーサーのアクセント】

後悔。

僕個人のルーサーへの思いもかなりある。80年代後半から、どうしてもライヴを見たいアーティストで、見ることができないアーティストが2人いた。アレサ・フランクリンとルーサー・ヴァンドロスである。二人とも飛行機嫌いゆえに日本には来ないとされていたアーティストである。その後90年代に入ってバーブラ・ストライサンドがそのリストに加わる。ストライサンドの場合は、めったにライヴをやらないから、これは難しい。しかも、引退とか言ってるし。アレサのライヴ情報は、けっこう追いかけ、結局91年にニューヨークで捕まえることができた。だが、ルーサーはかなわなかった。僕のライヴ人生の中でも最大の悔いかもしれない。

ルーサーは、基本的によくライヴをやっていた。80年代後期に日本の業界関係者も何人か見ているし、またライヴのヴィデオも出ているので、その雰囲気はある程度はつかめる。しかし、あのヴェルヴェット・ヴォイスは一度生で見たかった。

ルーサーは、76年に出たグループ「ルーサー」の時からずっとリアルタイムで聞いてきたので、同時代感がものすごくある。81年『ネヴァー・トゥ・マッチ』で再デビューした時も、まずは、グループ時代からずいぶんと洗練されたなと思った。そして、何度もアルバムを聴くうちにその素晴らしさに感心するようになった。今ではルーサーのベスト・アルバムと言われる傑作だ。

その後アルバムを次々とだし、そのどれもが大ヒット。彼の後を追って、フレディー・ジャクソン、キース・ワシントン、ジョニー・ギルなど続々と登場した。

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ブルックリン訛り。

これは以前どこかで書いたか話したと思うが、ルーサーとは一度会ったことがある。場所はロスのスタジオ。記憶がはっきりしないのだが、86~87年頃のことだと思う。誰かジャズかフュージョンのアーティストのレコーディングがロスのスタジオであり、その発売元のレコード会社(ポニー・キャニオンのパシフィック・コースト・ハイウェイというレーベル)の担当に連れられて、そのレコーディングを覗きにいった。主人公はそのアーティストなのだが、名前は覚えていない。(笑) ところが、そのレコーディング・セッションに大柄な黒人シンガーがきていたのだ。

僕はあれ、どこかで見たことあるシンガーだな、と思い、ガラスの向こうの彼をじっと見て、まもなく、ルーサーではないかと思った。担当者に「ねえ、ねえ、あれってルーサーじゃないの」と聞くと、担当者は「知らない、わからない」という。もっともその彼はルーサー自身を知らなかったので、話にならなかったのだが。ただ、僕も半信半疑だった。まず彼がニューヨーク・ベースで活動していること、飛行機嫌いということから、ロスにいるわけはないだろう、と勝手に思い込んでいたのだ。それに、無名のこのアーティストのセッションにルーサーほどの大物が来るわけがないと。でも、そっくりに思えた。特に太り具合は。

そこで、一段落してスタジオから出てきた彼に意を決してずばり尋ねた。「あなたは、ミスター・ルーサー・ヴァンドロスですか?」 後から考えると、とんでもない質問をなげかけたものである。鳥肌ものだ。相手はその時点で何百万枚ものレコードを売ってるスーパースター。アメリカの音楽業界人なら誰もが知っているそんな時期だった。すると彼は満面の笑みで「イエ~ス」と答えた。お~~、まじか~~と超びっくりし、これは一期一会だと思い、「インタヴューしてもいいか」と尋ねた。すると彼は「う~ん、ノー、今、僕はヴァケーション中なんだ」とあっさり断られた。

インタヴューは断られたが、なぜロスにいるのか、というと「今、ロスに住んでるんだ」と答えが返ってきた。ニューヨークではないかのか疑問に思ったら、ニューヨークにもロスにもどちらにも家があるという。なるほど。たまの移動は、なんとか飛行機に乗るらしい。

その時、写真を撮っていいかと尋ねると、「かまわない」という。そこで写真を撮ることにしたが、カメラを向けると、「胸から上だけにしてくれ」と注文をつけられた。やはり太っていることを気にしていたのだ。

それから何ヶ月後かに、ルーサーに電話インタヴューをする機会があった。87年10月のことだった。どういう時期かというと86年秋に『ギヴ・ミー・ザ・リーズン』のアルバムが出たほぼ1年後というタイミングである。今から考えるとなぜ、そんな中途半端な時期にインタヴューが取れたのか、よく覚えていないのだが、なんらかの理由で電話インタヴューはできた。

その時の印象は、はっきりした発音で、独特の訛りがあるなということ。そして、その訛りを以前に聞いたことがあった。話しているうちに誰か考えていたのだが、ふとわかった。カシーフだった。カシーフも、ルーサーもどちらもニューヨークのブルックリン生まれ。いわゆる「ブルックリン・アクセント」というものだった。その後、確かあのウィル・ダウニングと話をした時もその「ブルックリン・アクセント」を感じた。そういえば、ウィル自身もずいぶんとルーサーの影響を受けたシンガーではないだろうか。

ルーサーよ、Always & Forever!

ENT>OBITUARY>Vandross, Luther/2005.07.01(54)

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