Knack For Writing Piece With Longevity

【すぐ死ぬ文章】

永続性。

たまたま昨日NHKの昼の番組を見ていたら、阿川佐和子さんがでていた。話はいろいろおもしろかったのだが、お父さん(作家の阿川弘之氏)に文章について言われたという言葉が印象に残った。

それは「流行(はやり)言葉ばかり使っていると、文章はすぐに死ぬ」という言葉。う~~~む、深い。そして、おっしゃる通り。よ~~~くわかる。

やはり、僕もまあ、長い間いろいろ書いているが、結局、普通に書くのが一番という結論に達する。奇をてらって書くのもなんとなく、その場はいいのだが、そういうのは、結局後から読んでみると意外と恥ずかしかったりする。

そういう意味では雑誌などの定期刊行物に書くのと、CDのライナーノーツなど資料性の高いものに書くのではずいぶんと違う。雑誌の原稿というのは読まれる期間がせいぜい一ヶ月くらい。もちろん、将来その原稿を一冊の単行本にしようとなるなら、一ヶ月という短期ではないのだが、とりあえず、次の号がでれば忘れられる。(もっとも文字に印刷されたものは、ずっと残るからいつ誰に読まれるかはわからないが)

ところが、CDのライナーなどは、そのアーティストの新作が出たときに前のアルバムのライナーが読まれる。その間隔は1年であったり、2年であったり、スティーヴィーのようなものだったら、10年だったりする。そうなると、何年か前の気分で書いた軽い文章ではまずい。つまり「流行の言葉を使って、死んだ文章を書いている」となるとこれはちょっと恥ずかしい。

ウェッブはさらに微妙だ。何年後にも残るだろうが、消すこともできる。また、古いものも、即座に書き直しができる。まちがいもすぐに訂正できる。となると、ウェッブの文字というのは、紙媒体ほど重くないということなのだろうか。

ただいずれの場合でも、永続性がある文章、末永く読まれる文章というものは、確かに存在するということだろう。やはり、何度も推敲(すいこう)した文章は、長く読まれえる確率が高い。それはライナーだろうが、雑誌だろうが、単行本だろうが、ウェッブだろうが、本当は関係ないのだが。「文章がすぐ死ぬ」という言葉を聞いていろいろと考えさせられた。

カテゴリー: Uncategorized パーマリンク