The Last Day Of George's: Part 1

【日本最古のソウルバー、ジョージ 41年の歴史に幕】

閉店。

あの日本最古のソウルバー、ジョージ(英語表記はGeorge’s)が2005年4月23日(土曜)を持って閉店した。1964年(昭和39年)にオープン以来、41年間、ソウル・ミュージックの数々を六本木の小さな空間に流しつづけてきた。

23日、午後8時前にジョージに立ち寄った。普段ならまだ営業していない時間。外のネオンもついていない。しかし、中の明かりがついている。やっているのだろうか。とりあえずドアを押すと、開くので入ってみると、誰もいなかった。「ごめんくださ~~い」。トイレのほうから物音がして、まもなく、一人の男性がでてきた。「お店、いつまで?」 「あ、今日までです」 「ジョーイさんは?」 「あとで来ますよ」 まだジュークボックスに電源も入っていない。音のしないジョージ。誰もいないジョージ。

すると時を同じくしてジョーイさんが入ってきた。前に何度か会っているが、彼はこのジョージのママの息子さん。オーストラリアを本拠に金融関係の仕事をしていて、日本と行ったり来たり。なかなかここにこれない。また、隣の防衛庁跡地を三井不動産が大規模プロジェクトとして開発を始めたこともあり、店を閉じることにしたという。そして、改めて「お別れの会」を別のところでする、という。

中にあるポスターや、様々なソウルフルな想い出の品の数々は、すべて別のところに保管しておくという。もちろん、この名物ジューク・ボックスも。約1-2週間で店内を片付け、その後すぐではないが、最終的には建物自体が取り壊されるという。ここにあるポスター、ジューク、写真などダリル・ホールなどが欲しがっているという。ただ、まだどうするかは決まっていない。

「ぜひ、この店の写真をとっておいて欲しいなあ」と言うと、「ええ、カメラマンに頼んでみるつもりです」と彼。僕も携帯でジュークの写真を撮った。

ちょうど外に出ると、ジョージのネオンライトが点灯した。隣の大規模開発の広さから比べると、ジョージの面積などネコの額にもならない。これも時代の流れか。そのネオンや扉など、またしても、携帯で撮ってしまった。すると、店の前に一台のタクシーが止まり、そこから降りてきた女性もやにわにデジカメを取り出し、ジョージの外観を撮りはじめた。僕が驚いていると、すぐに扉を押して中に入っていった。

ソウル・サーチン―R&Bの心を求めて拙著『ソウル・サーチン』の「ミニー・リパートンの章」でもジョージを舞台にした。「ラヴィン・ユー」ガールは、ジョージ閉店のニュースを知っているのだろうか。

それにしても、この店が閉まるのは、実に寂しい。僕がここに初めて来たのはおそらく1972年のことだと思う。確かまだ高校生だった。大学にはあがってなかった時期だ。雑誌ソウルオンの広告を見て、六本木の駅から歩いてやってきた。最初入るときはさすがに怖かった。それでも73年以降にはちょくちょく来ていた。

壁一面に張られたポスター、アーティスト写真、サインの数々、音楽業界誌キャッシュボックスの表紙、旅行好きだったママが世界中を旅して、そこで使った何種類もの紙幣。わけのわからない見たこともない文字が書いてある紙幣について尋ねると、懇切丁寧にママはなんでも教えてくれた。客がひじをつくので、水平ではなくなっているカウンター。そしてそのカウンターはガムテープで補強されている。この店に入ると、僕は少なくとも30年はタイムスリップする。そして、何よりここの主役、ジュークボックス。これほどまでにソウルが染み付いた店は世界中どこを探してもないだろう。

夜中2時過ぎ、もう一度、来てみた。すると、店の外まで人があふれ返っていた。

(つづく)

PS: ジェームス・カーさん、閉店情報ありがとうございます。

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