Dead Line Is Here To Break

【物を生み出す原動力:締め切り】

死線。

毎日新聞の音楽欄「楽庫」のライターや、担当編集者、そしてレコード会社各社の宣伝担当などが一堂に会する「らっこ会」が四谷・荒木町の小さなジャズ・バーであった。楽庫ができて12年。その間、こうした懇親会は一度もなく、今回が初めての試み。楽庫の編集長的存在の川崎氏がいく組かおもしろい新人アーティストに声をかけ、ライヴも披露。これがなかなか粒ぞろいで、おもしろかった。

久々に会うライター氏もいれば、お名前だけはいつも拝見しつつ、対面は初めてという方とも名刺交換などをしつつ、その間隙をぬってレコード会社はぬかりなくプロモーションをするなどけっこうおもしろい会になった。

ちょうど、8時半過ぎに会場に入ろうとすると、ライター服部さんも入ろうというところ。「今、青山から来られましたか?」ときかれ「いや、直接うちから来ましたけど」。「今、青山でマリオンのショーケースがあって。同じ所から来たのかなと・・・」 「マリオ? また来てたの? あれ、オマリオンか?」 「いや、そのどっちでもないんです。マリオンというの」 「へえ、知らなかった・・・」 マリオ、オマリオン、マリオン・・・。わけわからん。(笑) 

たまたま隣になった中川五郎さんと久々に歓談。五郎さん、現在のプロジェクトはボブ・ディランの全曲の訳詞本をてがけているそうだ。すごっ。アルバム収録曲全部だけでなく、他のアーティストに提供したような作品、ライヴだけで歌った作品、曲を書いただけでレコーディングはされていない作品など、かなり網羅するようで、400曲以上のものになるという。「へえ、じゃあかなり立派な分厚い、高い本になりそうですね。5000円くらい?」 「いやあ、2冊に分けて木のボックスで10000円くらいになるんじゃないかなあ」 「おおおっ、それはすごい。何人くらい買うんだろう」 「わからないなあ。でも、ディラン・ファンはある程度いますからねえ」

これまでに五郎さん自身がアルバム対訳をてがけたものもあり、そうしたものはもう一度見直し、まったく手付かずのものは、改めて、訳し下ろす(こんな言葉あるか?(笑))そうだ。ただし、他の人が訳した物は、できるだけ見ないという。「やっぱり、他の人の読んじゃうとだめなんですよ、影響されちゃって」 「で、締め切りは?」「5月中」「ああ、じゃあ、けっこう進んでるんですか」「いや、ぜんぜん・・・(笑) ほんとやらないとまずいんですよ」 

しかし、ボブ・ディランなどは、初期は比較的わかり易いが、中期以降は「ダブル・ミーニング」だけでなく「トリプル・ミーニング」まであって、それをどう日本語に置き換えられるか、どう解釈するかは、もう訳す人にかかってくるので、どうにもしようがないという。

なんと、アメリカででたボブ・ディランの自伝の翻訳本と同時にリリースする計画らしい。こちらはボブ・ディランの大家ヘッケルさんが訳されるという。「じゃあ、絶対遅れられないじゃない・・・」「そうなんですよねえ・・・」とニコニコする五郎さんでした。

そこからしばし翻訳もの談義に。訳詞での苦労話をきいた。特に熱心なファンがいるアーティストの訳詞には、ずいぶんと文句をつけられるそうだ。

締め切りを英語ではデッドライン(死の線)という。それまでが死んでしまうくらい苦しいから・・・ということではない。それが最終期限ということだ。それを境にすべてが死んでしまうということかもしれない。だが、記録は破られるためにあるのと同様、締め切りも破られるためにあるのかもしれない。しかし、締め切りという存在がなければ、何も生まれない。締め切りが、物を作り出す大きな原動力となっているのも事実だ。

(つづく)

(2005年4月20日水曜、荒木町ウィル(WILLE)=らっこ会)

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