Stax Story Part 2: After Otis, It's New Generation Of Stax

死後。

オーティスの死後、しばらく、スタックスの面々はまったく何も手がつかなかった。だが、彼らは仕事を続ける。ルーファス・トーマス、ジョニー・テイラー、エディー・フロイド、ソウル・チルドレン、ジュディー・クレイ、ステイプル・シンガーズ、オリー&ナイチンゲールズ、ニューカマーズ、ドラマティックスなどなどがヒットを出しつづけ、スタックスの火を消すことなく守った。

67年12月のオーティスの死をきっかけに、アトランティックが配給から手を引き、68年からはガルフ&ウェスタン社が全米での配給を担当。このころスタックスの運営に有能な人物が登場する。元メンフィスのラジオDJ、アル・ベルである。彼は地元でDJをやっていたが、スタックスの作品、メンフィスのローカルアーティストの作品群を積極的にプレイし、地元アーティストの人気を高める手助けした。

そうした実績が認められ、彼はスタックスのプロモーションマン(宣伝マン)として雇われるようになる。そして、すぐに手腕を発揮し、彼は副社長にまでなる。アル・ベルは、スタックスに新たなイメージを作ろうとした。新しい「指がなっているような」ロゴを作り、レーベルデザインを変え、配給元も変え、心機一転再出発を計った。そして、上記のアーティストらが次々とヒットを出すようになった。

それまでソングライター、プロデューサーとしてスタックスを裏から支えてきたアイザック・ヘイズは自らの低音を打ち出し、シンガーとしても登場。彼は映画『シャフト』のテーマを担当し71年全米ナンバーワンを生み出す。ゴスペル・グループ、ステイプル・シンガーズも「リスペクト・ユアセルフ」「アイル・テイク・ユー・ゼア」の2大ヒットで一躍メジャーな存在に、さらに、デトロイトのドラマティックスも「イン・ザ・レイン」(72年)の大ヒットを放ち、エモーションズがコーラス・グループとして注目され、それまでになくスタックスは成功する。

そして、スタックス・レコードの歴史上最大の出来事が72年8月に起こる。アル・ベルが音頭をとり、スタックスのアーティストを集合させ、ロスアンジェルスコロシアムで行った大イヴェント「ワッツタックス」である。これは、ロスの黒人街であるワッツ地区を潤そうということで、行われたイヴェントでスタックスのアーティストが10時間以上にわたってライヴを見せた。「ワッツタックス」とは、おわかりのように「ワッツ」と「スタックス」をあわせた言葉である。この模様はライヴレコード、映画にもなり、そのイヴェントは現在でも伝説として語られる。

しかし、残念ながら73年ごろからスタックスからなかなかヒットがでなくなり、最終的に75年、スタックスは倒産。所属アーティストは、次々と他のレーベルへ移っていった。ジョニー・テイラーはCBSに移籍し、「ディスコ・レディー」の大ヒットを、ウィリアム・ベルはマーキュリーに移り「トライング・トゥ・ラヴ・トゥー」の大ヒットを、エモーションズもCBSに移り「ベスト・オブ・マイ・ラヴ」などの大ヒットを出すようになった。

スタックスの作品の権利はその後ファンタジー・レコードが買収し、管理発売している。スタックスの実質的な活動時期は59年から74年くらいまでの15年ほどだったが、その間に残した作品群はブラック・ミュージックのかけがえのない宝物である。

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「スタックス・レコード・スペシャル」は、『ソウル・ブレンズ』(日曜午後1時から5時、インターFM76.1mhz)内「ソウル・サーチン」のコーナー(午後2時から2時半)で4週間にわたってお送りします。第二回は1月16日(日曜)。30分に拡大です。

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