青い空。
昨年暮れ、ボズ・スキャッグスのアルバムが一挙に廉価盤で再発売され、その中にあの名盤『シルク・ディグリーズ』(1976年作品)があったので、何度も聴いている作品だが、また久々にCDを聴いてみた。
76年の夏、ちょうど「ロウダウン」がR&Bラジオや、ディスコでもかかっていたことを思い出す。白人の作品ながら、ソウルフルなサウンドで、R&Bステーションでも支持を集めたのだが、やはり、このベースラインが醸し出すグルーヴ感は素晴らしい。アヴェレージ・ホワイト・バンドなどのいわゆるブルー・アイド・ソウルが話題になっていた時期でもあり、「ロウダウン」もある種ブルー・アイド・ソウル的に受け入れられていたことも納得できる。
とはいうものの、僕は当時は完璧にソウル・ミュージック至上主義(笑)で曲を聴いていたので、みんなが黒っぽいといったこの「ロウダウン」でさえも、白さを感じていた。だが、抜群なポップ感覚はこの曲に感じていたから、これがポップ・チャートを駆け上るのは容易に理解できた。
76年7月、僕は初めてアメリカに行った。友人がロスにいてその彼を訪ねておよそ一週間の予定で機上の人となった。で、その時レンタカーを借りたのだが、カーラジオから繰り返し流れてきた曲のひとつが「ロウダウン」だった。僕が聴いていたのはもちろん、局はどこだったか忘れたが、ブラックステーション、R&Bステーションだったにもかかわらずだ。
当然、ロスの風景と、カーステレオから流れてくる多くのソウル・ヒットの中に混ざってこの「ロウダウン」がかかってもまったく違和感はない。たしかアメリカのラジオというものにどっぷり浸かったのもあの時が初めてだったかもしれない。そこで、アメリカのラジオはヒット曲が一時間に1回かかるものだということを知った。
天辰保文さんが2004年10月に書き下ろしたCD解説によれば、天辰さんはこのアルバムがヒットした76年の12月にサンフランシスコでボズのライヴを見た、という。しかも、そのライヴは男性ブラックタイ、女性ドレスというドレスコードがあったそうだ。もうそんなころからボズの音楽とそのファンは、おしゃれだったのかと改めてびっくりした。
ここには、他に「ハーバー・ライト」という傑作バラードやあるいはリタ・クーリッジでヒットした「ウィ・アー・オール・アローン」も入っている。まさに名盤である。
ボズはサンフランシスコ出身だが、僕にはこの「ロウダウン」とカリフォルニア、それもロスの青い空が結びついている。それはちょうどこのジャケットの雲ひとつない青い空のイメージである。76年、日本では雑誌ポパイが誕生する年だ。アメリカ、カリフォルニアが日本の若者にぐっと近づこうとしていた時期でもある。