NO.359
2003/08/20 (Wed)
Groovin In The Midnight
深夜放送。

ではせっかくですので、糸居五郎さんのお話でも。糸居さんの『オールナイト・ニッポン』は、毎週月曜日だったように記憶しています。67年10月から始まったそうです。月曜深夜1時。今風に言うなら月曜25時から、29時(朝5時まで)。もうひたすら音楽ばかりかかるんで、かなり異色でした。それから1時〜3時に短くなったのかな。で、3時〜5時に移動だったか。糸居さん以外の曜日も聴いてましたね。60年代後期から70年代初期の頃のことです。『オールナイト・ニッポン』の頭のナレーション、今でも覚えてます。

他の深夜放送がみなおしゃべり中心で、1時間にせいぜい3-6曲くらいしかかからないときでしたから、ノンストップで音楽が流れている糸居さんの番組は貴重でした。彼は自分がしゃべるときもなにかBGMをひいてましたね。ジャズっぽいインストものだったようです。よく考えると、ああいうBGMもしっかり選曲してたんですよねえ。元々糸居さんはジャズ好きでいらしたし。他のDJは、素でしゃべっていた。そうそう、これは確かじゃないんですけど、糸居さんの時はターンテーブルを3台にしてやっていたって聞いたような気がする。普通にかける2台に、もう1台BGM用というわけですね。他の曜日だったら、ターンテーブル1台でもやってけますけどね。(笑) 

そして、この『オールナイト・ニッポン』と別に73年から始めたのが『ソウル・フリーク』という番組でした。これは確か日曜の夜11時台とか12時過ぎの30分番組だったように記憶しています。ちょうど、スリー・ディグリーズなんかがでてきたり、ジェームス・ブラウンが来日したりで、いわゆるソウル・ミュージックがちょっとした動きを見せ始めたので、ソウルの専門番組をやろう、ということで始まったときいています。

日曜夜は確かTBSテレビの『ソウルトレイン』があったので、『ソウルトレイン』、『ソウル・フリーク』という流れがあったような気がします。『ソウル・フリーク』では、糸居さんがアーティストにインタヴューしてましたね。なぜかよく覚えているのがブラザース・ジョンソン。たださすがに話の内容は覚えてませんが。

糸居さんは、イントロにのせてアーティスト紹介、曲紹介をするかなり初期のDJだったと思います。当時だと八木誠さんが同じようにイントロにのせて紹介していました。糸居さんのあの独特の節は、『糸居節』と呼ぶにふさわしいですねえ。

「夜更けの音楽ファン、こんばんは! 朝方近くの音楽ファン、おはようございます! ・・・ ゴーゴーゴー、アンド、ゴーズ・オン!」  英語なら簡単にのりがだせますが、日本語ではなかなかイントロに乗せるリズムが生まれない。それを糸居さんは試行錯誤して考えました。体言止め。いつでも、曲紹介が終われるように、かっちり単語を切っていくんですね。ワンセンテンスが短い。当時の同録でもあったら、また、聴きたいなあ。今でこそ、そういうことを考えるDJがいなくもありませんが、言ってみれば糸居さんは日本で一番最初にグルーヴを考えたDJかもしれません。その頃、グルーヴなんて言葉は市民権を得てなかったですが。

もっとも糸居さんで僕が個人的に覚えているというか、最大の思い出は僕の友人夫婦の結婚式の司会を糸居さんにお願いしたということですね。80年くらいだったかな。快く引き受けてくださいました。で、なにがぶったまげたかというと、まあ、通常の司会が進んではいたのですが、途中で、大きなラジカセを取り出して、その音楽にあわせてDJを始めだしちゃったんです。ちゃんと、曲のイントロでしゃべるときは、曲のヴォリュームさげて、紹介終わると、がっとあげて、歌がガツンとはいる。もう、ラジオのDJそのものです。あれには、びっくりしましたね。で、何をかけたんだろうか、今思い出せないのがはがゆい。(笑) しかしねえ、DJ入りの結婚式の披露宴っていうのは、初めてでしたねえ。

ヘイ、ミスターDJ、あなたは、真夜中のグルーヴDJ。


PEOPLE>ITOI, GORO

Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
|Return|