NO.243 |
2003/05/03 (Sat) |
Jealous Guy |
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BBSでSoul Ozさんが紹介してくれたクインシー・ジョーンズの自伝ははやいところ読みたいですね。著者クインシー本人でしたか。ついに書いたんですね。 クインシーだったら、何冊書いてもエピソードにはことかかないでしょうね。(笑) 中でも、スティーヴィーとダニーのエピソードは非常に興味深い。ダニーがスティーヴィーばかりがもてはやされることに嫉妬した、というくだり。ダニーは1945年生まれ、スティーヴィーは1950年生まれ。ダニーのほうが5歳年上です。年下の彼が次々とヒットを放っていくことに、嫉妬、焦りなどを感じたとしてもおかしくありません。 スティーヴィーは63年「フィンガーティップス」が大ヒットして、13歳にして一躍スターの座にのぼりつめました。その時点でダニーは、17歳。ダニーに初ヒットが生まれるのは69年2月、23歳でした。その時点でスティーヴィーはすでに17曲のチャートヒットを持っていました。 70年代にはいると、ダニーはロバータ・フラックとともに「ニュー・ソウル」の旗手などとしてもてはやされます。優れたアルバムを発表し、シングルヒットもだし、ダニー自身に大いなる注目が集まるようになります。やっと、ダニーがスティーヴィーに追い付いたかにみえました。ところが、スティーヴィーは同時期、グラミー賞を次々と総なめするようになり、さらに人気格差が拡大してしまうのです。ダニーも実にいい作品をだしていますが、どうしても印象的にスティーヴィーのほうが、インパクトがある、といえば確かにそうです。この人気格差に、自分がいくらやっても、スティーヴィーに追い付けない、というあきらめのような気持ちが生まれたのでしょうか。インテリゆえに、そこが頭で理解できてしまったのかもしれない。感情的には理解できなくとも。 今でこそ、ダニーに対する評価は高いものがありますが、一般的人気という点では確かに、スティーヴィーでした。そして、そこに「なぜスティーヴィーばかりが・・・」という気持ちが芽生えたとしても、まったく不自然ではありません。 73年頃から79年1月13日の自殺の日まで、おそらくダニーには人の想像を絶するようなストレスがあったのでしょう。彼がインテリで頭がよかっただけに、さらにその苦悩は大きかったはずです。その日々は、ダニーにとっての、疑うことのないソウル・サーチンの日々でした。 ダニー最後のアルバム『バック・トゥゲザー・アゲイン』(1980年)には、そのスティーヴィーが書いた作品「ユー・アー・マイ・ヘヴン」が収録されています。気持ちがひとつふっきれたのでしょうか。ダニーが「君は、僕の天国だよ」と歌うとき、それはスティーヴィー本人に対して歌っているのかもしれません。そしてこれを最後に、ダニーがこの世を去りました。ということは、これはひょっとしてダニーの辞世の歌なのでしょうか。 「ジェラウス・ガイ」ダニーよ、安らかに。あなたの音楽は永遠に。 |
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA |