NO.141
2003/02/01 (Sat)
Stop! In The Name Of Law
プライド。

60年代に一世を風靡したモータウン・サウンドを生み出したソングライター/プロデ
ューサー、ホランド・ドジャー・ホランドのトリオのひとり、ラモント・ドジャーが
1月26日付けロスアンジェルス・タイムスのコメンタリーに「Baby, Baby, Where
Did Our Royalties Go?(私たちの印税はどこに行ったの)」という原稿を寄稿しました。

最近インターネットなどで著作権料を払わずに多くの人が音楽を利用していることへ
苦言を呈したものです。「ある人々は、インターネットから音楽をダウンロードする
ことを、音楽〔楽曲〕をシェアする〔共有する〕という。私は、それは単純に「盗ん
でいる」だけだと言いたい。アーティストやソングライターたちは、そのことによっ
て生活を奪われていると感じている」

さらにこう続けます。「裁判所は、『法律の名の元に、〔盗みは〕止めなさい!』と
言う。しかし、私は『愛の名の元に、〔盗みは〕止めなさい』といいたい。そうすれ
ば、音楽を毎日作って生活している人々が、音楽を作り続けることができるのだ」

約600ワードを超える原稿で、無料の違法サイトからのダウンロードではなく、ちゃん
としたサイトでお金を払ってダウンロードしてください、とアピールしています。こ
の問題は、テクノロジーの発展とともに、非常にむずかしい問題です。技術が発展す
れば、品質のいいものが、無料もしくはかなり安価で、入手できてしまいます。そう
すると、それを作った人々に適正な報酬が支払われなくなってしまう可能性がでてき
ます。そうなると、音楽を作る人は生活できなくなってしまう、と考えられています。

僕自身は、ひとたび世に出たものは、それが音楽であれ、本であれ、それはそれを作
った人のものであるだけでなく、大衆の物になってしまうという考え方にも理解がで
きます。極端に言えば、世に出たものは、それを必要とする人のものだ、ということ
です。

すばらしいラヴソングを書いた人がいる。しかし、そのラヴソングは、それを必要と
する恋人たちのものであってどこが悪いのでしょう。

しかし、一方でその作品を作るためには、多くの時間と労力がかかっており、それに
対する対価が支払わなければならないという考え方も当然だと思います。

ただで入手できるものに、なぜお金なんか払うのか。と考える人も中にはでてくるで
しょう。そこが文化遺産に対する考え方、コンセプトの持ち方の問題になります。そ
の自分が聞きたいと思う作品を作った人に対する感謝の気持ち、お礼の気持ちを持つ
ことができれば、その人は何らかのお礼をするでしょう。そして、自分は無料のサイ
トからダウンロードしたのではなく、ちゃんとお金を払って聴いてるんだ、というこ
とをプライドとして感じることができれば、きちんと払うでしょう。

ドジャーはそこを「愛」という言葉で表現しましたが、僕は「プライド〔誇り〕」で
はないかと感じます。そして、あまりに無料のダウンロードが闊歩するのであれば、
それは、聴く側さえプライドが感じられない作品が多すぎるということも言えるのか
もしれません。

『翼にのったソウルメイト』 (リチャード・バック著・1984年)という本の中の一説
に非常に好きな言葉があります。こうです。

「芸術、本、映画、ダンスにおける栄光の瞬間は、その鏡の中に自分自身を見るから
甘美なのだ。本やチケットを買うことで、すばらしい仕事に対してお礼の拍手をする
ことができる」

さて、あなたはお礼の拍手をしていますか?
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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