NO.123
2003/01/14 (Tue)
Immortality: Maurice Gibb's Soul Searchin'
永遠に。

モーリス・ギブ死去のニュースは世界のメディアをかけめぐっています。テレビ、ラジオをつけずとも、こうしてインターネットにつなげば、世界各地のニュースがたちどころに読めます。10年前には考えられなかったことです。ここ12時間ほど、多くのカヴェレージを読んできました。ビージーズに関することで、知っているようで、知らなかったこともわかりました。だいたい、いつも有事になって初めて知ることが多くあります。(苦笑)

日記のエクストラで簡単に事実だけをご紹介しましたが、死去の前後の様子は、まだ正確には報告されていません。自宅で痛みを訴え病院に緊急入院した、すぐに手術の準備がなされた、しかし、その前に心肺停止になった。あるいは、手術はしたが、術後、容態が急変した、など。諸説あります。

そうこうしているうちに、兄バリーの「モーリスの死因に関して、病院側に対し疑問を持っている。徹底的に調べ上げる」というコメントが発表されました。今後のニュースに注目しましょう。

モーリスは20代の頃からずっとアルコール中毒に悩まされていました。十代の頃から世界的スターダムに登りつめ、しかし、人気が凋落し、また、「サタデイ・ナイト・フィーヴァー」で上がりと、ローラーコースターのような浮き沈みを体験しています。

ビージーズ初の世界的ヒット「ニューヨーク炭鉱の悲劇(New York Mining Disaster 1941.)」が生まれたのは1967年。モーリスは、まだ17歳でした。

69年にイギリスの人気シンガー、ルルと結婚するもアルコール中毒などが原因で73年には離婚。この前後はあまりヒットも出ず、苦しい時期が続きます。

しかし、77年、映画「サタデイ・ナイト・フィーヴァー」の大ヒットで、それまで以上のメガスターの座に。にもかかわらず、ディスコ・ブームが去ると、再び低迷期を迎えます。

アルコール依存症はかなり重度で、アル中の人たちが集まるグループにも参加し、なんとか立ち直ろうとしますが、なかなかうまくいかなかったようです。

彼はかつて言っていたそうです。「僕には、アルコールのことを考えないですむ日が一週間に2日だけある。それは昨日と明日だ」 あまりに厳しい現実でした。つまり、毎日それに悩んでいたわけです。

60年代後半には、それぞれがエゴを言い、ソロになったり、グループは一時的に解散状態にもなりました。しかし、70年代に入ってグループとしての人気が低迷すると、彼らは兄弟としての絆の重要さに目覚めます。わがままは押さえ、相手のことを聞き、思いやり、手を取り合っていくことの尊さを学びます。

そして、70年代後半に、彼らはマイアミに移り住みました。彼ら3人は同じストリートに家を買い、行き来するようになっていました。

88年3月、ギブ兄弟にもう一つの悲劇が訪れます。彼らの末っ子で、一時期はスターになっていたアンディー・ギブがわずか30歳の若さで急死するのです。このアンディーの死去は、彼ら3兄弟の絆をさらに強めることになりました。それは、何があっても兄弟、という絆でした。

元宣伝担当だったクリス・ハッチンスは、「モーリスのアルコール依存症が彼の死期を早めたことは間違いない。彼は自分がグループのフロントマンでいたいと思っていた。そして、それも常に彼の苦痛のソウルだった」と証言しています。

最近、モーリスは音楽以外のビジネスが成功し、兄弟と同じストリートに住んでいた家から、オーシャンフロントの700万ドルの豪邸に引っ越しました。しかし、アルコールにむしばまれた体は、元に戻りませんでした。

8日深夜入院し、木曜日に緊急手術を受けたモーリスはその後も非常に危険な状態が続きました。土曜日夜、彼は妻と二人の子供たちがベッドサイドにいるときに、一度だけ目を明け、娘であるサマンサの手を握り返しました。しかし、それ以来彼の目が再び開くことはありませんでした。日曜日午前1時、彼らと兄弟たちが見守る中、モーリスは不帰の人となりました。

モーリスは、ビージーズの中で一番高い声をだす人です。「ア〜〜〜」というその声は、もっとも特徴的です。モーリスは、かつて自分たちの声について、こう語りました。

「まあ、3人のうちの一人ということなら、そこそこ(の声)だろう。二人になると、けっこういい。だが、3人になると、それはもうマジックだよ」

ビージーズの魅力をもっとも端的に表した言葉です。そう、彼らは一人一人でソロを歌うよりも、3人がそろってハーモニーを歌ったときに、すばらしい輝きを見せるのです。

アル・グリーンがカヴァーした「ハウ・キャン・ユー・メンド・ア・ブロークン・ハード」http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/diary20021012.html
そして、テディーペンダグラスもカヴァーしました。 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/diary20021019.html

日本だけでヒットした「メロディーフェア」。60年代を思わせる「マサチューセッツ」、「ワーズ」などのメロディアスなヒットの数々。世界的現象を巻き起こした「サタデイ・ナイト・フィーヴァー」。彼らはすばらしきメロディーメイカーでもありました。

97年、セリーヌ・ディオンのために書いた作品が「イモータリティー」です。昨年リリースされたビージーズ・ヴァージョンは、モーリスが懇願するようにソウルをこめて歌います。こんな歌です。

「だから、これが僕なんだ。それしか、僕には言えない。そして、僕は生きなければならない。僕が愛をあげられるすべての人のために生きなければならない。その生きることへの決意が、生きる力を大きくしていく。

僕たちは、さよならは言わない。僕は自分がどうすればいいか、わかってるんだよ。

永遠に。永遠の旅に、僕は歩む。君と僕の思い出を胸に秘めて。

僕の人生に吹き荒れた嵐は決してやむことはない。僕の運命はそこに吹く風次第

僕は、みんなに僕のことを思い出させよう(I will make them all remember me)」

アルコール依存症から抜け出ることができずに苦悩しているモーリスのそのもんもんとした気持ちが、自然と重なってきます。そして、今聞くと、これはあたかもモーリスの辞世の歌のようにさえ思えてきます。モーリスの人生もソウル・サーチンの連続だったのです。

モーリス・ギブ、永遠の命(Immortality)。
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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